塾の講師をしていると講義の中で、様々な話題がでてくることがあります。
一つの学問はそれ一つで完結しているわけではなく、他の学問と密接に関わってきているわけですから、それに応じて話題が出てくるというのもおかしなことではありません。
塾は一つの科目だけを教えればいいと思われがちですが、それだけでは息が詰まってしまいますし、点数を取るだけでなく学問として学力を身に着けさせたいという気持ちもありますから、余談や雑談も大事にしています。

社会の授業で伐採にまつわる話題が出た

社会の授業をしている時に伐採にまつわる話題が出て、これは色々な面から面白い話題だなと感じました。
木材の需要というのは、昔から比べると多いものではなくそれを考えれば重要性は低くなっています。
その一方で需要が全くなくなってしまうことはありませんから、木材を使用する場面が少なくなったとはいえ、重要性は以前として高いというふたつの捉え方ができます。
需給の関係だけでなく純粋に伐採という作業に関するところも面白いもので、元々は山に住む木こりが木を切っていたわけでしょうから、そのような人たちは学問とは無縁だったりするわけです。
しかし、林業は闇雲に伐採をすればいいというわけではなく、しっかりと計算をして行わなければなりません。
直接学問と触れ合う機会がなかった人たちが、自らの仕事をしていくうちに無意識で計算をして伐採をしていったと考えると、ここに学問や数学の本質というのが現れているのではと、伐採の話をしていて思いました。

計画的に作業する様は数学のよう

伐採というのは身近なものではありませんから、目につく木を適当に切っていくと思う人もいるかも知れませんが、それでは決して上手くいくものではありません。
どれだけの量の木を切るかをよく考えなければなりませんし、どの木を切るか考える必要もあります。
実際に切る場面になるとどのようにして切るのかということを考えなければならず、これらは適当にできるものではないのです。
昔は良く言えば経験で悪く言えば山勘で切っていた部分もあるのでしょうが、近代であれば計画的に作業をしますから、その光景は確かな答えが存在する数学のようで面白かったりします。
冷静に考えると伐採に数学的な思考は必要不可欠であり、切る木や切り方を間違うだけで、倒れ方が変わってきたりしますし、倒れるまでの時間も変わってくるだけに考えなしにできるものではありません。
特に倒れる向きによっては命の危険もあるわけですから、それを思うと数学的思考を持って作業に当たるのは当然ですよね。